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桜の下で


 

「ほら、こっちおいで。からあげがあるよ」
「ほーら、玉子焼きもあるよー」
「夢中で食べてるよ。かわいいねぇー」

「♪テッチューン」

シアワセな記憶

ピンク色の花の中の記憶

ゴチソウに包まれた記憶


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               桜の下で



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「というわけデス」

親実装の昔話に、半分の仔は目を輝かせ、半分の仔は首をかしげた。

「なんでママ、ピンクの花が咲くとニンゲンさんにゴハンをもらえるテチ?」
「なんでかはわからんデス。でもママがみんなくらいの時、ママのママに
 連れられてニンゲンさんのパーティーに行ったデス。
 そうしたらただそこにいるだけでたくさんおいしいゴハンをもらえたデス」
「…不思議テチ」
「テチャァァ! ワタシもゴチソウ食べたいテチャァァ!」

オツムの弱い仔チームの方が騒ぐ。
この家族は親と仔6匹の7匹構成。
うっかり暖かい2月のある日に春と勘違いして親が仔を作り、
春先のこの季節までひもじい思いをしながら生き延びてきた、そういう一家だ。

そろそろ一家揃って栄養値的に限界となるに至り、親実装が命の危機からだろうか、
眠らせていた幼少の記憶を呼び覚ましたのだ。




まだ肌寒さが残るこの季節。
ニンゲンたちはピンクの花の下に集まって、
たくさんのゴチソウを食べまくる。




「もうすこしデス…」

薄くつぼみがつき始めた桜の木を見上げながら、親実装はつぶやいたのだった。


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数日後。

「ママ! ピンクの花テチ!」

外で遊んでいた仔の一匹がハウスの中に転がり込んでくる。
まだ他の実装石も冬篭りから出てこず、それ目当ての虐待派も少ないこの時期、
かなり遠くまで遊びに行くことを許可されていた仔実装。
その仔実装の報告に、残った仔どころか親まで飛び起きる。

「ついに来たデス…オマエタチ、キレイに見た目を整えるデス!」
「「「「「「テッチャァァァ!!」」」」」」

まだ水道の水は冷たい。
それでも小奇麗にしないと食事にはありつけない。
思い込み生物の実装石は気合で冷水の禊を果たす。


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エプロンにシミは残れども、誇りっぽさを落とした実装親子。
彼女らが服を乾かしきったのは、昼もかなり回ってからだった。
桜並木の下をゆっくり歩くが、どうにも様子がおかしい。

あちこちの地面にオウチの屋根が広がっている。
その上に、たまにぽつんぽつんと人間がいる。

「おかしいデス…もっといっぱいのニンゲンがいるはずデス…」

実装石には知る由もないが、まだ週の中では木曜日。
陣地取りにかわいそうな社員が駆り出されるほかは、まだ花見客などいるはずもなかった。

「でもママ、いい匂いがするテチ」
「デェェ…」

たしかに、体の心からあったまるようなおいしい匂いは漂ってくる。
上がりに上がったテンションで支えていたが、水浴び直帰の実装親子は
寒さに凍える寸前ではあったのだ。

「あそこテチ!」

仔実装が1匹走り出す。それに追従する2匹。
おつむ緩いチームの3匹だった。
親実装が止める間もない。


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その男は心底参っていた。
新卒で入った社会生活1年目。
些細なミスを3回ほど繰り返すうちに、夏前には社内でのヒエラルキー最下位に位置づけられていた。
同期はすでに各々専門的な業務の研修に入っていたが、
自分は只一人、代わり映えのしないルーチンワークのみやらされている。
飲み会は好きではないが、まったく誘われないとなれば話が違う。
先輩の外回りにお供しないで済むのはいいが、
ろくに誰とも会話しないで一日が終わるのはいいのだろうか。

そんなうちに、来年は不景気の影響で新卒採用ゼロと聞いた日には、
また同じ…下手すればもっと悪い次年度を迎えることになるのでは、と不安にもなろうものだ。
そしていよいよ、特殊業務「花見の席取り2徹任務」を拝命するにあたって
会社に居所を感じられないようになっていたのだった。

毛布は2枚ある。飲み水もある。
しかし移動は基本的に許されない。
至近距離にあるトイレはいいが、コンビニまでは往復20分近くかかる。
それだけあければ、場所をとられてしまうかもしれない。
食事はどうしようと思い当たった男だったが、
それは流石に様子見(サボり監視)にきた先輩が、おでんを差し入れてくれた。

この任務を遂行すれば、多少は社内での立場も上がるだろうか…
そう思っておでんのビニールを見れば

「テッチャァァァァ!!」
「テッチィィィ!!」

まさに緑色の糞蟲がおでんの容器をひっくり返しているところだった。


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「次女! 三女! 五女!」

親実装が叫ぶ目の前で、熱いおでんのツユを浴びて悶える仔実装3匹。
実装石にとって火傷は致命的だ。

「ママァァァ!! あづいテチィィィ!!」
「たずけでほじいテチィィィィ」
「テェェェン テェェェン」

そんな3匹の様子に顔色を変えて近寄ってくるニンゲン。

「デェェェ! そこのニンゲンさん、子供たちを助けてあげてくださいデス!」

思わずすがりつく親。
しかし、そのニンゲンは五月蝿そうに親を弾き飛ばすと、
倒れていたおでんのケースを元に戻し、中の具を拾い集めてビニールの口を閉ざし、
毛布を使ってこぼれた汁を拭き始めたのだった。

「デェェェ! そんなの後回しにしてほしいデス! 仔が死んでしまうデス!」
「うるせぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

今度こそ親は投げ飛ばされ、離れた地面に叩きつけられた。

「てめえらが零した汁のせいで、シートがベトついたらどうするんだよ!
 あああ、ついでに俺の晩飯もねえが、それどころじゃねえ、どうすんだこれ」

男は慌てながら汁をぬぐう。
仔実装たちは男がぬぐったその上を、糞を漏らしながら悶え転げる。

男が爆発する。

「この、糞蟲が!」

次女が桜の木の幹に叩きつけられる。

「せっかく拭ったところを!」

五女がアスファルトに叩きつけられる。

「汚してんじゃねえよ!」

三女が遥か彼方の用水路に放り捨てられる。

「デェェェェェェ!!」
「オネエチャァァァン!!」
「イモウトチャァァァァン!!!」

悶絶の3匹は各々致命傷を負って静かになった。

「なんてことをするんデス! この仔たちを助けてくれと言ったデス!」
「ああ?」

リンガルなど無くても互いの感情くらいは通じ合える。
そして、この場の被害者は、なんといっても男のほうだった。

「糞蟲が…まだ残っていやがったか…なに勝手に陣地に上がりこんでるんだ」
「返すデス! 仔を返すデス!」
「出てけ…さもないと」
「我が仔を返すデェェェェェェッス!!」
「テチャァァァァァァ!!!?」
「六女!?」

「残った糞蟲も順に潰す」
「テベチョッ」

「六女? 六女ォォォォォ!?」
「ママ だめテチ!」
「このままじゃみんな殺されちゃうテチ!」
「デ、デェ…」

「もう一匹いっとくか?」

「はーやーく、逃げるテチィィ!」
「デェェェェ…!!」

残った長女、四女に引きづられて撤退する親実装。
男は陣地から離れられないから追撃は無い。


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甘い記憶に縋った作戦は、仔の暴走により、あまりにも手痛い被害を一家に与えていた。


半分になった一家は、少し離れた木の陰で呼吸を整えていた。

「デェェェ、こんなハズでは…こんなハズでは…ないのにデス」
「ママ…気落ちしないでほしいテチ」
「六女チャンは残念だったけど、他の姉妹はちょっと危なっかしかったし、しょうが無いテチ」
「デェ」

確かになかなかできなかった間引きができたと考えればいい。
現に、姉妹うちでも賢いほうの仔が残っている。

しかし…

「ママ ピンクの花とかもういいテチ」
「ゴハンなんかなくても平気テチ」

自信満々の作戦を哀れみの篭った視線で否定されれば、そこは譲るわけにはいかない。

「オマエタチはここで待ってるデス ワタシはオマエタチの分までゴハンを探してくるデス」
「テェェェ ママ 無理しないでほしいテチ」
「問題ないデェェッス!!」


親実装はウミガメよりは早い弾丸となって走った。
目指すは用水路沿いに建てられた粉物の屋台が並ぶ区画。
開店は明日以降としても、材料の一部はすでに運ばれているかもしれない。
狙いどころは確かに間違いではないといえるだろう。

もちろん、厳重な梱包素材は実装の手では開かない。
そして、資材搬入中のテキヤさんに見つかれば只じゃすまない。



事実、親実装は三女の後を追う羽目になった。



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ぱたん


「テェ」


ぱたん ぱたん


「テェェェェ」


長女と四女が残された木の根元…もちろん桜の木だ…には、
次々に場所取りのシートが広げられていった。
仔実装が小さく身を寄せ合う様は、夕暮れの中で視認することは難しい。

さっきまでは普通の地面だった場所が、
「踏んだら6女チャンと同じ運命をたどるモノ」に覆われてゆく。

賢い仔実装たちは、先ほどの鮮烈な体験で教育してしまったのだ。

すなわち、あのシートは死を招くもの。

そして、親実装がうっかり言った「ここで待て」の命令。
それを守った賢い仔たちはピンチに巻き込まれていた。

わずかばかり残された「通ってもいい道」を通って逃げるべきか。
それともここでママを待つべきか。

「オネーチャン どうしようテチ」
「テェェェ…」

糞蟲ならビニールシートを越えて逃げるも、持ち場を離れるも平気だっただろう。
うっかり声を上げる「致命行為」もこの場合は命を繋げたかもしれない。
しかし、賢い仔は簡単にロジックの行き止まりにはまり込んでしまう。

「このままじゃここに取り残されるテチ」
「でも、ママとはぐれたらもうおしまいテチ」

実際ママはもうおしまいなのだが、それは知る由も無い。
3本あったシートの隙間が1本になる。

「オネーチャン…」
「テェ…」
「オネーチャン!!」
「!? テ! テェェェ!!」


姉妹の目の前で最後の脱出ルートがシートに閉ざされた。


「もう、逃げられないテチ…」
「ママ…」

絶望に打ちひしがれる姉妹。
しかし、姉妹の真の絶望はここからだった。

ぱたん

「テェ!?」

ぱたん ぱたん

姉妹がいるのは桜の木の元。
そしてこれは花見の場所取り。
より幹に近いところへシートを広げていくのは定石だ。
結果として、姉妹の陣地がどんどん狭くなる。

「オネーチャン…ここもダメになっちゃうテチ!」
「もっと奥に行くテチ!」

姉妹は木の幹に体を押し込もうと懸命になる。

…もっと一気に広げちゃいなよー…
…木にかぶさっちゃわない?…
…だいじょぶっしょー?…

ぱたたたたたたたた

「テェェェェェ!!?」

危険な「踏んではいけないゾーン」が迫ってくる。
姉妹はあたりを見渡すと、かろうじて窪んだうろのようなものを見つけることができた。

「あそこテチ!」
「飛び込むテチャ!」

四女がうろに体を半分だけねじ込む。
それを長女が懸命に上から押さえつける。

「もっと、もっと入るテチ!」
「テチャァァ、無理テチ! 入らないテチィィィ!!」
「入るテチ! ワタシもここに入るんテチ!」
「オネーヂャ 無理 む ぎ ばいらば デチ」
「入るテチ! 入るんテチィィィ!!」

肌と木の皮がすれるプキュプキュという音。
ゆがめられた四女の軟骨が奏でるクキクキいう音。
潰れた体組織があげるプチュプチュいう悲鳴。

「入るテチィィィィ!!!!」

長女は必死だった。

「む   り  テ チ    ィ」

四女も必死だった。


そしていよいよシートがかぶさりそうになる瞬間。





長女は全力で四女のいるうろに体をねじ込んだ。






「はいるテゴロロロロロロ」
「むりボベベベベベベ」
「いォォォ」
「むェェェ」
「ォ」
「ェ」







努力のかいもあってか、二匹の躯の上にはシートは僅かなりとも触れることはなかった。


人間たちは誰も気づかない。


そんな姉妹の姿をやっと1分咲きの桜だけが見下ろしていた。







長い長い冬が終わろうとしていた。










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