髪飾り
「あなたを飼ってもいいかママに聞いてきてあげる。これが約束の印ね」
「テチィ」
少女は仔実装の髪に自らの髪飾りを外して取り付けた。
ゴムの先に小さなプラスチックの玉が2つ付いた、まるでサクランボのような髪飾り。
亜麻色の後ろ髪に2つの髪飾りを付けてもらった仔実装は、うれしそうにくるくる回る。
バランスの勝手がいつもと違ったのか、ふらつく仔実装を見て、少女もまた楽しそうに笑った。
「じゃあ、また明日、この場所でね、ドミ」
「テチューン♪」
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髪飾り
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ふたば第八公園。
市の外れにあるこの公園は、野良実装が少ないことで知られている。
いわば高級住宅地であるこの区画には、表向きには虐待派もおらず、どこかおかしい愛誤派もおらず、
近場に商店街や解放されたゴミ捨て場も無く、高い塀に囲まれた家屋が立ち並ぶ。
人通りもあまりなく、主に車が行きかうこの地は実装石にとって過ごしやすい土地ではない。
それゆえに、あえてこの地を永住の地に選ぶ野良実装は、戦いや諍いを好まず、
人との距離を測って目立たないようにこっそり暮らす習性を持っていた。
実装石に慣れた人間なら『賢くて善良な種』と定義づけるかもしれない。
そしてこの公園に来る数少ない子供にとっては、実装石は無害な生き物であり、かわいい友人である。
土地柄治安はいいが、それゆえに孤独になりがちな子供達は仔実装を遊びの相手に選ぶ。
その結果、時としてお菓子や玩具を与えられることもあるため、親実装もこの子供達の
「出稼ぎ」を推賞する節があった。
そして、特に子供に気に入られた個体は飼い実装になれることもある。
ドミと名づけられたこの仔実装も、そんな賢い野良の一匹だった。
リンガル越しに少女の言葉を聞いたドミはまさに得意の絶頂だった。
(ワタチが飼い実装になれるんテチ!)
(明日になったら飼い実装にしてもらえるんテチ!)
重たくなった髪の先がその思いを裏付けるようで、ドミはうれしくてしょうがなかった。
普通の野良より頭が回るとはいえ、所詮ドミも仔実装だった。
注意力が散漫になるのは仕方がなかったかもしれない。
それが後にどれだけの不幸を呼び込んだとしても。
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短い足でスキップの真似事をしながら、茂みの奥の家に戻ろうとしたそのとき
ガサ
「テテッチ!?」
急に軽くなった後ろ髪の感覚にドミは狼狽した。
(誰かに引っ張られてるテチ!?)
どれだけもがいても前には進めない。
バラ色の未来想像から一瞬で現実に引き戻されたため、ドミはパニックに陥った。
「テェェェ! 離すテチ! ワタチを離すテチ!」
実装石はその身体構造上、背後を確認する術を持たない。
見えざる敵に必死でドミは抵抗した。
手足を振り回し、頭を振り、もがきにもがきまくった。
ズプン ズプン
やがて泥に何かが沈むような音を2つさせて、ドミは解放された。
勢いのあまりゴロゴロ転がって、木の根にぶつかるドミ。
「テェェ…痛いテチ…敵は何処テチ…」
起き上がり、振り返ったドミの視界には、敵と思われる生き物はいなかった。
代わりに、ドミの身長より少々高めの位置にある枝に、
ばさばさに縮れた茶色の糸くずの塊と
・・・赤く光る4つのガラス球が引っかかっているのみ。
「・・・テ?」
なにが起こったかわからず固まってしまうドミ。
(おかしいテチ)
(あのキラキラしたものはワタチの髪の毛に・・・)
(テ?)
そんなまさか、まさかそんなはずは…
ある種の恐ろしい予感と共に、ドミはおそるおそる後頭部に手を回してみる。
ない。
大切な後ろの髪の毛がない。
「テ」
両方とも、なくなってしまっている。
「テ、テ」
もう一度ガラス球を見つめるドミ。
茶色い糸くずが風に吹かれてポロポロと散ってゆく。
切り離されて、生命としては死んでしまったドミの後ろ髪。
「テェェェェジャァァァァァァァァ!!!?」
ドミの悲鳴が茂みの中にこだました。
* * *
普段は髪に絡まってもほぐれて抜ける茂みの枝。
それが今日は髪の先をゴムバンドで纏められていたわけである。
結果、輪となった髪の毛は枝にしっかりと引っかかり、悲劇は起こった。
スキップしたのも状況を悪化させていたわけだが、ドミにとってはそれどころではなかった。
なんとか枝から取り戻した2つの髪飾り。
しかし、絡まっていた髪の毛は枝との格闘で既にチリチリになっており、
その上髪飾りを外すうちにどんどんほどけてバラバラになってしまっていたのだった。
涙を堪えることもできないまま、ドミは足りない頭で必死に考える。
(ゴシュジンサマは飼い実装にしてくれる約束としてこれをくれたテチ)
(これが付けられないとゴシュジンサマはワタチを飼ってくれないかもしれないテチ)
(でも髪の毛がないからこれが付けられないテチ…)
そうでなくても実装石にとって髪は命の次に大切なものだ。
仔実装のドミにとってこの事件はショックが大きすぎた。
(とりあえずおうちに戻るテチ…)
とりあえず茂みの奥に髪飾りを隠すと、ドミはとぼとぼとダンボールハウスに戻った。
「デデ!? 長女、その頭はどうしたデス!?」
「テェ…遊んでたら抜けたテチ…」
「とんだオオボケデス! 糞マヌケデス! マラの糞でも溶かして飲むデス!」
予想通り、親実装はドミの姿に仰天し、叱責した。
髪の消えた後ろ頭を睨んでは天を仰ぎ、ウレタンの手でボフボフとドミの頭を殴った。
しかしこの親はまだ寛大と言えるだろう。
個体によっては群の安全を脅かす欠陥実装は、問答無用で始末してしまう場合もある。
しかし小さなドミにはその親の気持ちはわからない。
(なんでママはこんなに悲しいワタチを殴るんテチ)
痛くて悔しくて涙が止まらないドミ。
そんなドミの情けない姿を見て、ドミの妹である次女実装が小さく
「テプ」
と笑う。
親は気が付かなかったが、神経質になっているドミはしっかりとそれを聞いてしまった。
(なんでワタチを笑うテチ)
(ワタチは飼い実装になるんテチ)
(そんなワタチをなんでお前ごときが笑うテチ!)
ドミは無言で妹を睨みつけたが、妹はそれを無視して食事に戻ってしまった。
ヘマをこいたドミは当然晩飯抜きとなった。
* * *
一度頭に上ってしまった血は、就寝時間になっても落ち着くことは無かった。
いつもならすぐ眠ってしまうドミだが、痛みと空腹、そして怒りで目が冴えてしまっている。
寝返りを打てば、目の前にはフサフサとした髪を湛えた妹の頭が見えた。
(ワタチを笑ったイモウトチャンには髪があるテチ)
(飼い実装になるワタチには髪が無いテチ)
(おかしいテチ ミブンフソウオウって奴テチ)
ドミの心に灯る暗い考え、それは間違いなく糞蟲思考と呼べるものだったが、
ドミの理性はもはや限界を通り越していた。
(その髪はワタチが持つべきものテチ)
(そうすればあの綺麗な飾りが付けられるテチ そうすれば飼い実装テチ)
(ココロの広いワタチは、イモウトチャンも、ワタチをぶったママも
飼い実装にしてもらえるようにお願いしてあげてもいいテチ)
(チププ みんなシアワセになるテチ だから…)
* * *
「チビャァァァァァァァ!?」
ダンボールハウスに妹実装の悲鳴が響き渡った。
「何事デスゥ!? 敵襲デスゥ!? まさかの虐待派デスゥ!?」
親実装がハウスの窓を開け状況確認をする。
公園の街頭の明かりが差し込んだハウスの中で、
ドミは妹の背中にまたがり、まさに後ろ髪を引き抜こうとしていた。
「テェェェ オネエチャンが酷いテチ! ワタチなんにもしてないテチ!」
「うるさいテチ! オマエなんかがこの髪を持っても無駄テチ! さっさとそれをよこすテチ!」
「テェェン 痛いテチ 酷いテチ なんでワタチの髪をあげなきゃいけないテチィィィ!!」
「オマエはワタチに髪を寄こすことで幸せになるテチ! 抵抗するなテチャァァァ!!」
「いい加減にするデッスゥゥゥゥゥゥ!!」
「テベチュアァ!」
親実装の加減無いストレートでドミは壁に吹き飛ばされる。
数本千切れた妹実装の髪が宙に舞った。
「オマエ 自分のせいで髪を失ったのに なんで次女の髪を抜こうとするデス!」
「テェ ママ その髪をワタチがもらえばシアワセになれるんテチ!」
「デギャァァ なに糞蟲なこと言ってるデス! 次女の髪は次女のモノデス!」
「ママこそ糞蟲テチィ! ワタシがその髪をもらえばみんなシアワセなんテチ!」
親実装のまとう雰囲気が一変した。
実装石のコミュニティにおいて縦の繋がりは絶対だ。
仔は決して親に逆らってはいけないのである。
糞蟲呼ばわりとはすなわち、親の庇護を放棄するに等しかった。
「そんなに髪が大事なら…」
「テェェ・・・」
「もう一度抜ける苦しみをよーっく味わうデスゥ!」
ドミの前髪を掴んだ親実装は、そのままドミをハウスの外に放り出す。
ブン
ブツブツブツ
バシン
自重に振り回されて、ドミは前髪を親の手に残したまま、3m離れた地面に叩きつけられた。
「二度とこの家に近寄るんじゃないデス糞蟲!」
親実装はドミにそう告げると、ハウスの窓を閉めつっかい棒をした。
背中から地面に叩きつけられたドミは痛みに動けなかったが、ハウスからこぼれてくる親が妹を慰める声を聞くに、
居た堪れなくなって這いながらその場を離れた。
(ワタチを笑ったイモウトチャンなんか嫌いテチ!
ワタチをぶったママも嫌いテチ!
嫌いテチ ママもイモウトチャンも大嫌いテチ!)
痛みより惨めさで涙が止まらないことに、ドミは気づいていなかった。
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後ろ髪の無い頭にクッションは無く、冷たい地面に叩きつけられただけ陥没していた。
それでも幼生ゆえに体の柔らかいドミは致命傷を負わずに済んだ。
なんとか二本の足で歩けるようになったドミは、まずは唯一の財産を回収に向かった。
一組の髪飾り。
それが髪を全て失ったドミの持つ、唯一の財産だった。
しかし、これとて髪が無ければ付けられない。
頭巾を深く付け直し、ドミは考える。
(イモウトチャンの髪の毛は奪い損ねたテチ)
(他所の蛆チャンを襲って髪の毛をもらうテチ?)
(蛆チャンにはあまり髪の毛が無いテチ 無駄テチ)
足しにもならない考えを繰り返しながら夜の公園を一匹の仔実装が行く。
思考の堂々巡りはやがてただの愚痴になり、独り言となってミツクチからこぼれだす。
「ママもイモウトチャンも馬鹿テチ とんでもない糞蟲テチ
ワタチが飼い実装になったらゴシュジンサマに命令してギタギタに打ちのめしてやるテチ
チププ そしてワタチのウンチを嘗めて謝るようだったら奴隷として飼ってくれるように
特別にゴシュジンサマに頼んでやってもいいテチ…チププププ」
抜かれた前髪と背中の痛みを紛らわすように、幸せ回路全開でブツブツとつぶやくドミ。
言葉とは裏腹にその表情は悔しさに彩られ、涙はとめどなく流れている。
まさに陰の気の塊のような顔で、ドミはひたすら家から遠ざかるように歩いた。
仔実装であるドミは、深夜の公園を一人で出歩いたことは無い。
そもそも夜は寝るものという習慣がついていた仔実装にとって、夜の闇は未知以外の何者でもなかった。
場所が場所なら心無い虐待派に目を付けられ、一瞬にしてひき肉にされるか、
あるいは生きることを呪いながら苦痛の毎日を送る事になるところだが、
この公園には幸いその類の人間が姿を現したことは無い。
「…疲れたテチ」
しかし、食事を口にしていないドミはやがて広場の真ん中でへたり込んでしまった。
そろそろ夜になれば冷えてくる季節だ。
エネルギーの足りてない仔実装はぶるりと肩を震わせた。
「ここは寒いテチ…どこか隠れるところを探すテチ」
あたりを見渡すドミの目に、低い音を立てる鉄の箱が映った。
「あれはジュースが出てくる箱テチュ!」
たまたま公園に来ていた人間に、ジュースの分け前をもらったことのあるドミは、自販機を知っていたのだ。
「あそこにいけばあまーいジュースが飲めるテチ!
おなかいっぱいジュース飲むテチ!」
ドミは最後の気力を振り絞り、ジュースの自販機に駆け寄った。
* * *
「テチャアアアア!」
てふん
自販機を殴ったドミの手が力なく歪む。
どれほどおねだりしても、威嚇しても、泣き喚いても、自販機はジュースを出そうとはしなかった。
出たところで仔実装のドミがそれを取り出したり、缶を開けることは不可能なのだが、
ただ自販機がジュースを出してくれないという事実がひたすらにドミを打ちのめした。
「なんでテチュ なんで飼い実装のワタチの言うことが聞けないテチャァァァァェェェェェ!!」
自棄を起こしたドミは大声で自販機に殴りかかる。
てふ てふ てふ てふん
気の抜けた音に比例してドミの手が痣で染まってゆく。
蓄積された激痛と、本格的なエネルギー切れでドミはとうとうへたり込む。
「…今日はこのくらいにしておいてやるテチィ…」
最後にひり出した糞を自販機にぶつけ、わずかばかり溜飲を下げて、ドミはその場をあとにする。
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髪飾りを手に、公園を彷徨う仔実装一匹。
結局一睡もできなかったドミだが、暗い情念とあふれんばかりの希望に支えられて歩き続ける。
しかし、悪いことばかりでもない。
朝の早い時間の公園を一人で歩くのもまた、ドミにとって初めての経験だった。
「テェェ…みんなキラキラしてるテチィ」
朝露で葉っぱが濡れている。一瞬だけ悲惨な現状を忘れることが出来た。
喉を潤したドミはいつもの広場…昨日少女と遊んだ広場に向かうことにした。
もしかしたら既に少女はそこにいて、自分を待っているかもしれない、そんな都合のいい考えでドミは歩く。
そんなドミの行く先に、小さな塊が落ちていた。
「テチ? あれはなんテチ…?」
茶色の塊はちょうどドミの半分くらいの大きさだった。
「あの色は…ワタチの髪の色にそっくりテチ
もしかしたら髪の毛の代わりになるかもしれないテチ」
茶色くて、所々白い。ドミは初めて見る奇怪なものにそっと近寄ってゆく。
人間ならすぐにこの塊の正体がスズメの屍骸だとわかっただろう。
近寄ったドミの目の前に、ひしゃげた茶色の羽根が飛び出していた。
苦心して羽根を引っこ抜いたドミは、それを頭巾に差し込んでみる。
ドミには自分の姿を見ることはできなかったが、その確かな重みは、髪を失ったドミを満足させるものであった。
「髪の代わりを見つけたテチ…もう一本差し込めば髪の毛の代わりになるテチ…テ?」
ふと、今まで気づかなかった香りにドミは気が付いた。
「これは…オニクの匂いテチ?」
そっと羽根の塊に触ってみるドミ。柔らかくて所々筋ばったそれはほんのりと温かかった。
鳥は空を飛んでいるものと思い込んでいるドミにとって、それは正体不明な肉の塊である。
しかし、空腹のドミにとって、そんなことはどうでもよかった。
スズメの死骸には刻まれた大きな傷口にドミは夢中でむしゃぶりついた。
新鮮な血と肉の味が口の中に広がっていく。
「うまいテチ! これはステーキテチ! 朝からついているテチ!」
髪の代わりにしようとしていた羽毛を掻き分け、ドミは鳥肉をむさぼった。
生の肉はドミには少々硬かったが、空腹だったドミは全力で肉に歯を立てる。
溢れ出した鳥の血で顔の下半分が赤く染まる。
「テェェ 天国テチィ 飼い実装になるワタチに相応しい幸運テチィ…」
用心深い個体なら気が付いたかもしれない。
スズメが傷を負い、道の真ん中で死んでいる事実が何を示すのか。
誰のせいでスズメが傷を追ったのか。
上空からの視線が注がれていたことも、哀れな略奪者はまた気づいていなかった。
* * *
クケェェェェェッ!
「テチャ? タジャァァァァ!?」
突如現れたカラスの嘴がドミの頭をねじり上げた。
「痛いテチ痛いテチ! 誰テチワタチのご飯を邪魔するのはテチャァァァァ!?」
感情を感じさせないカラスの瞳が暴れるドミを冷ややかに見つめる。
横から現れて餌を奪おうとしている緑の小人。
町の猛禽はそれを見逃そうとはしなかった。
嘴で持ち上げて地面に叩き付ける。
「…!! ェィィィ!!」
腕が変な方向に曲がったドミは悲鳴を上げることも許されず、そのままカラスの足の下に敷かれた。
鋭い爪が頭と背中の隙間に潜り込んでいる。
「ケ ケヒ ケヒュウゥゥゥゥィィィ…」
喉を押さえつけられ、呼吸も出来ないドミ。
必死で無事な手足を動かすが、カラスが力を込めればそのチャチな体は完全に拘束されてしまう。
「ギ」
より深く食い込んだ爪から噴出した緑色の血に満足すると、カラスは食事を始めた。
まずは先に捉えたスズメである。
カラスが嘴でスズメを啄ばむたびに、爪の先にダイレクトに振動が伝わり、ドミの手足は
本人の意思とは関係なしにピクピクと跳ね動いた。
しかし、この期に及んでドミは状況を理解していなかった。
(なにが起こっているんテチ)
(ワタチはただご飯を食べていただけテチ)
(首が痛いテチ 動けないテチ ご飯は何処テチ)
(テェ この声は黒いトリテチ… ママが近づいちゃいけないって言った黒いトリ…)
薄くなってゆく意識の中で、ドミが思い浮かべるのは自ら糞蟲呼ばわりした親実装の顔だった。
スズメを平らげたカラスは仔実装をも餌食にしようと鋭く口を突き出した。
しかし、その動きが一瞬固まる。
目の前にいた仔実装の頭が大きく膨らみ、そして風下へ駆け抜けようとする。
何が起こったかわからないカラスは、食事を一時中断する。
羽根でデコレーションされた頭巾は大きく広がり風下に向かってゆく。
突如吹いた風が、カラスの爪で引き裂かれかかっていたドミの頭巾を吹き飛ばしたのだ。
クケッ!?
いきなり飛び立った緑の物体にカラスは反応した。
逃げるべきか、それとも取り押さえるべきか、冷静な判断を下すため、
カラスは一度舞い上がる選択肢を取った。
消えかけたドミの意識は、爪を抜かれるショックで覚醒する。
「テェェン 痛いテチ 何がなんだかわからないテチィィィィ」
このときのドミを突き動かしたのは動物の本能だった。
この場所に居続ける危険。
朦朧とした意識のまま、ドミは黒いトリから身を隠すように近くの茂みに駆げ込んだ。
破れた頭巾が稼いでくれたほんの15秒程度の時間。
それでも髪どころか頭巾まで失った傷だらけの実装石は、なんとかカラスの視界からその身を隠したのだった。
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水溜りに映った自らの姿を見て、ドミは泣きそうになった。
傷だらけの頭。
髪どころか頭巾すら消えたその頭には大きな痣が残り、形も歪んでしまっていた。
腕もなんだかおかしい。右腕は脇にモノを挟んだような変な形で固定され、
動かすたびに プキリ プキリと変な音がするようになってしまった。
もちろん引きつるような痛みはそのままだ。
そして折角とった朝食のエネルギーも、傷の治癒に使い尽くされてしまった。
「どうしたらいいかわかんないテチ…」
少ない脳容量で優先順位をつけて考えるドミ。
(ワタチは飼い実装になるテチ)
(飼い実装になるにはカザリを頭につけなきゃダメテチ)
(髪の毛が要るテチ)
(そして今度は髪をしばる頭巾も必要テチ…)
考えるたびにドミは暗澹たる気持ちになった。
どう考えてもやるべき事が増えている。
(まずは頭巾を探すテチ…)
飛んでいった頭巾を拾えば、少なくとも頭は隠せる。
そうすれば禿であることを隠せるし…
(禿じゃなくなればカザリを付けられるテチ!)
…いまいち頭の悪さは補正されていないようだった。
* * *
カラスに気をつけて公園を彷徨う一匹の禿仔実装。
同属の少ないこの公園では即リンチになることもないが、ドミにとって今の姿はあまり人前に晒したい格好ではない。
物陰に隠れるように移動し、先刻スズメがいた場所を通り過ぎ、さらに公園をうろつく。
太陽が丁度上りきった頃、ドミは自分の匂いの痕跡を見つけた。
安堵の息をつくドミ。確かにここならカラスも手を出せないだろう。
匂いは大きな自動販売機の下につながっていた。
自動販売機の下に早速ドミは潜り込んだ。
昼とはいえ明かりが届かない空間だ。
匂いだけを頼りに頭巾を探そうとするドミ。
しかし、自動販売機の下は思いのほか煩雑なものだった。
割れた石、はまり込んだ空き缶、蜘蛛の巣、ビニール袋…
それらを避け、掻き分け、時には大きく迂回してドミは匂いを辿る。
そんなドミの尻を金色の瞳が捉えた。
* * *
剃刀に刻まれるような激痛。
「ティィィィィィ!?」
振り返ろうとするが狭い天井がそれを許さない。
剃刀の束は何度もドミの短い足を切り刻もうとする。
湿った呼気が流れ込んでくる。
短く刻まれた呼吸がドミの焦りを掻き立てる。
狭いところにもぐりこんだ仔実装など、野良犬にとってみればまさに本能を刺激する玩具だった。
ドミは気が付かなかったが、この自動販売機は昨日ドミが糞を投げつけた自動販売機。
そして、その糞はこの野良犬のマーキングに重なるように付着していたのである。
縄張りの主にとってドミは、見逃すことのできない外敵そのものだった。
靴がボロボロに破り取られる。
「テェェ!? やめるテチ! 誰テチ!? ワタチは何も悪いことしてないテチィ!」
彫刻等に掘り取られたような傷口から血があふれ出る。
(なんテチ? なにが起こっているテチ!?)
(あんよが痛いテチ オシリも痛いテチィィ!?)
(もっと奥に進むテチ 逃げるテチ)
つっかえる寸胴の体。
天井に引っかかる実装服の破片。
進まない。
足を削られる。
痛い。
(助けてママァァァァ!!!)
ドミは服が裂けるのもかまわずに体を自動販売機の下にねじ込み続けた。
そのかいあってか、足を執拗に刻み続けた剃刀も、少しずつ浅くなってゆく。
その後しばらくは爪が空を切る感覚がドミの傷口をなでていたが、
やがて犬の気配は離れていった。
埃まみれの暗がりで、小さな実装石はゆがんだ体をさらに丸めて小さくすすり泣いた。
*********************************
髪の毛を失った。
靴も服も失った。
結局頭巾も回収できなかった。
パンツ一枚の禿裸が公園を進む。
傷だらけの足を引きずるたびに皮がめくれて砂粒や小石が傷口に入る。
何かする度に状況が悪くなってゆく。
(なんでワタチがこんな目にあうテチ 理不尽テチ 世の中間違ってるテチ…)
糞蟲思考にもいまいち元気がない。
手元を見る。
結局残ったのはこの髪飾りだけだ。
唯一残ったパンツの中に、そっとしまい込む。
ゴワゴワして歩きにくいがしょうがない。
コレだけは失うわけに行かないからだ。
(こんな格好であの子はワタチを飼ってくれるテチ?)
自分で自分に問いかけて戦慄する。
(こんなカッコウじゃマズイテチ…なんとか服だけでも用意するテチ!)
立ち上がり、走り出す仔実装。
自分より弱そうな仔を探し、服を奪い取る。
頭巾さえ被ってしまえば髪もかくせよう。
(靴も全然問題ないテチ…カワイソーだけど飼い実装になってからワビてやればいいテチ)
チプププ
こぼれる笑みにはすでに落胆の色も絶望も、そしてわずかばかり得た教訓も残っていなかった。
そしてまさにそのとき、すっかり元の糞虫に戻った仔実装の目の前に一匹の仔実装。
ドミは勢いもそのままに跳躍する。
「その服を脱ぐテチィィィィィィィ!!!」
* * *
その飼い主は驚愕した。
僅か先で遊ばせていた自分の飼い実装、それにまさに禿裸の実装石が飛びかかろうとしているのだ。
もちろん愛護派である。無闇に実装石を攻撃したりはしない。
しかし手元のリンガルには
『その服を脱ぐテチィィィ!! ワタシの幸せにコウケンするテチィィ!!』
そして、仔実装を見れば、股間をパンパンに膨らませ、飼い実装の服を脱がそうと躍起になっている。
結論が出れば行動も早い。
「この、糞マラがァァァァァァ!?」
ぶぉん
「テギャァァァァッ!?」
振り下ろされたリードは鞭となって目の前の狼藉者を打ち据えた。
愛護派の中でもマラだけは扱いが違う。
これは自分が愛する実装石を傷つける異物だと判断した愛護派にとって、マラはただの外敵なのだ。
「死ね、死ね、死ねっ、この糞虫! うちのグリングルちゃんに何しやがる!」
「テェッ!? テェェッ!? テェェェェ!!?」
仔実装のボロボロの体に新たに赤い蚯蚓腫れが走る。
頭を抱えて転げまわる「マラ実装」。
転げまわりながらも異様な執念で飼い実装に追いすがる「マラ実装」。
そのたびに飼い主は金属部品のついたリードを叩きつけるのである。
肉がへこみ、皮が裂け、痣と痣とが繋がって赤黒い斑を生み出してゆく。
それでも致命傷を与えないのはこの公園がもたらした環境のせいなのか。
禿裸と思われる仔実装が這いずるようにして離れていくのまでは、飼い主は追撃をかけなかった。
*********************************
「テー テー テー」
無意識に修羅場から非難したドミ。
足は勝手に良く知った場所…少女との約束の場所に向かっていた。
低い石段の上に腰掛ける。
パンツは破れてなくなったが、髪飾りだけは最後の意地で握り締めていた。
(なーんでこうなっちゃったーテチー?)
阿呆のように虚空を眺めるドミ。
何もかもなくなってしまった。
絶対にこのままでは少女に見つけてもらえないだろう。
そう、この髪飾りがなくなれば。
ドミは髪飾りを抱きしめた。
もはやこれだけが自分の命綱。
なくすわけにはいかないのである。
手に持っている?
ダメだ、他の実装石に取られてしまうかもしれない。
しまっておく?
もうパンツすらないのに?
「おくびに巻いておくテチ…」
ドミにとってそれはとても冴えた考えのように思えた。
念のため、頭を通し、一本だけ首に巻いてみる。
実装の腕で広げられただけあり、ゴム自体は強くない。
軽い圧迫感はあるものの、耐えられそうだった。
「大丈夫テチ」
もう一本…軽い気持ちでドミはゴムを巻いた。
ゴムは束ねれば当然強さは倍になる。
仔実装に当然の事実を理解できるはずもなかった。
* * *
「…テ?」
それは違和感。
なんだか頭が熱い。
「??」
そしてふらつく上半身。
息苦しい。
「????」
軽くあえいでみるが、段々意識が薄れていく。
血流が分断されたドミの脳でも、このままではマズイ、それだけはわかった。
首を掻き毟る。
当然締まったゴムは解けない。
「テ テ テ」
視界が暗くなる。
(おかしいテチ…なんでこうなるテチ…シアワセになるはずじゃなかったテチ?)
こてん
まさにそんな軽い音を立てて、ドミはぱったりと倒れ伏した。
* * *
約束の時間に少女はやってきた。
そして、自らの飼い実装となるはずの仔実装を探す。
しかし、その場には首を髪飾りで締め上げられたボロボロの禿裸の仔実装が残されているのみだ。
少女は涙する。
だれがこんなひどいことをしたのだろう。
ごめんね、約束を守ってあげられなくてごめんね。、
そっと仔実装をつまみ上げる。
光の消えた瞳、わずかばかり残されたぬくもり。
少女は公園の片隅に穴を掘る。
そして仔実装を苦しめていた髪飾りをそっと外すと、その中に仔実装を横たえた。
さよなら、ドミ。
被せられる土。
* * *
ドミはまだ死んでいなかった。
血流が戻ったそのときから、実装ならではの生命力を発揮し、仮死状態から復活しかかっていた。
だが、まともに動けないドミの体の上にはどんどんと土が被せられてゆく。
(ちょっと待つテ ブブォ)
口に土が入る。
(まだワタチは生きて デゥッ!)
瞳を土が覆う。
(ワタチは飼い実装になって シアワセに そんな テェェェェ!)
土の冷たさだけがドミの全てを隠してゆく。
(やめてテチ 捨てないでテチィィィィィィィィィィィィ!!)
全てが闇に包まれた。
* * *
いつのまにか来ていた少女の母親が呼びかける。
涙をぬぐうと、少女はその場を立ち去ろうとした。
「…ドミ?」
少女は一瞬呼ばれた気がして振り返る。
まるであの仔実装が生きているかのような幻想。
もちろん幻聴だ。
仔実装の声など聞こえるわけがない。
小さな石が砕けるような、微かな音がしただけなのだから。
完